もやゆる介護

認知症の母の介護についてのあれこれです
もやもやした気持ちのゆるい介護、かな。

楽しい時間

夕食の買い物に母と出かけました。
「カレーを作る」と私が言うと
「好きなもの作ればいい」と言いつつ、不満そうです。
「ママには他に好きなもの作ってあげるから」となだめて、
カレーの材料を買いました。
疲れていてスパイシーなものが食べたかったのです。
お通夜~お清めの和食、お刺身、煮物等から、対極のものが
食べたかったのです…。


ひき肉ときのこで、さっぱりとしたカレーを作ると
「私もそれが食べたい」と母も言い出しました。
「美味しい」と大好評で、3杯もおかわりしてくれました。
「お料理、上手!」
「私はこんなにおいしく作れない!」
と大絶賛。
笑顔でたくさん食べる母をみていると、私も本当に幸せな気持ちになりました。


翌朝も、母には和食を用意し、私はカレー、と思ったら。
「私もそれが食べたい」と昨夜食べたことを忘れて、
おかわりと大絶賛。
このエンドレスな繰り返しなら文句なしです。
母に褒められ、たくさん笑顔を見て、幸せな時間を過ごしました。

エンドレス

結局母と一週間一緒に過ごしました。
母が、祖母が亡くなったことを受け入れ、慣れるためと、
悪意の叔父から母を守るためです。


母は、いつものことは理解しできても、
いつもと違う事にはなかなか対応できないことがよくわかりました。


例えば。
「お通夜に黒いストッキングをはいていく」
ということが、頭から離れないのです。
母「黒いストッキング買ってこなくちゃ」
私「買ってきたよ」
母「どこにあるの」
私「ここに出してあるよ」
 もう根負けして、ストッキングを包装から出して、
 母の見えるところに置きました。
母「これ?」
 と広げたり、結んだり…。


これを数分おきに繰り返します。
パールのネックレス、黒いバッグ、黒いパンプス、喪服…にも同様のことが
繰り返され、夜は更けていくのでした…。


翌日妹に
「何であんな傷んだストッキングなの?」と聞かれました。
新品なのに、もう何度もはいた後のようになっていました。


ありがとうございます

祖母が亡くなり、数日間書くことができませんした。
書きためておいて、毎日公開するようにしていましたが、
数日間更新することができずにおりました。
その間、ご覧いただいた方、ご心配いただいた方がいらっしゃることと思います。
御礼とお詫びを申し上げます。


母に「出ていけ」と言った叔父が喪主なので、
何かにつけて、疲れる数日間でした。
打ち合わせ時に、いきなり怒鳴られ、
告別式の後、祖母の遺骨の前で喪主と三男の叔母(私たちを助けてくれる)が
危うくつかみ合いの喧嘩になるところでした…。


書けることから、また少しづつでもつづっていきますので、
よろしくお願いいたします。