もやゆる介護

認知症の母の介護についてのあれこれです
もやもやした気持ちのゆるい介護、かな。

母のこだわり

記憶ができないということは、

判断もできなくなる、ということだと
母を見ていると感じます。
人は何かを判断する時には、
記憶をもとに判断しているのだと、
ひしひしと感じます。
(当たり前に事でしょうか)


できないことが増えていくばかりと
思いがちですが、母には母のこだわりがあって、
母が大事に思っていることは、
私なんかよりきちっとこなしています。


例えば、お裁縫。
私は、学生時代の家庭科のレベルから
全くダメで、日常生活の最低限、ボタンを付けたり、
裾を直したりしかできません。
母は元々好きだったとは思いますが、
今でもマメに針を持ちます。
昔のブラウスで、多分花柄がとても気に入っているけれど、
袖の幅が太くて、今どきのシルエットではないものなど、
こまめに直して、着ています。
そういう作業をする時も記憶力は必要だと思うのですが…。

記憶は愛情

今月は、私の誕生月です。
昨年までは、母はそれを覚えていて、
私を産んだ日=自分が母になった日の
話をしていました。


私は来年還暦なので、
誕生日のことなど、それほど気になるわけではありません。
しかし、誕生日を祝ってくれる人など、
最近はほんの数人になりましたし、
何でもどんどん忘れていく中で、
母が覚えていることをとてもうれしく感じていました。
同じ話を何度も聞くのは苦痛ですが、
この日の話だけは、何度聞いても、
覚えていてくれることがありがたく思っていました。


今年は母の記憶から消えてしまったようで、
ぽっかりとした喪失感を感じています。
覚えていてくれることに母の愛情を見出していたのだと思います。
何も覚えていなくても、母が私の母であることに
変わりはないのに…。

期待しなくなった

最近は、母に期待しなくなったなあ、と思います。
認知症と診断された数年前は、母に対して
「もう少ししっかりしてよ」とか
「もう少し頑張って」という気持ちがあったように思います。


もう少ししっかりしてよ、と思うと、
母の記憶を正そうとしたり、
記憶が残らないことを何とかメモで補おうとしたり、
私も努力したし、
母にも色々強要?していました。


母も何とか頑張ろうとか、
これ以上物忘れがひどくなると困るという意識もあったように思います。
私が持って行った認知症関連の本を
アンダーラインを引いたり、
ノートに抜き書きしたりして、
一生懸命読んだ痕跡がありました。


このところ、母の症状が進んできたという実感があるため、
もう少ししっかりしてよ、という気持ちは、
無くなってきました。


もうしょうがないなあ…という容認に移行してきました。
母と一緒の時間を過ごすにはそう思わないと、
ストレスが大きすぎて、無理だから、だと思います。
でも、まあ、この方が楽なので、
そう思うようになったことは、
私としては、良かったんじゃないか、と思っています。