もやゆる介護

認知症の母の介護についてのあれこれです
もやもやした気持ちのゆるい介護、かな。

そこも私の気配りするところなの

3週間たらずの間に二回現金をしまい忘れて探せなくなっている母。
(私はどこかにあるはず、と思っています)


妹とメールでやりとりして、お財布に現金を入れるようにして、
まとまったお金を渡すことはやめようと思っています。
それが正しい?解決策なのかは、わかりません。


そんなあれこれを思案中の時に、ケアマネからメールがきました。
「お金が続けてなくなったことで、ヘルパーさんたちの精神的負担が大きく、
今後のことを話し合いたいので、次回訪問時時間をとってほしい」とのことでした。


そうなんだ。そこも私が気を遣わなくてはいけないところだったのね。
という気持ちです。
母がお金を無くすことで、周りの方々に迷惑をおかけしているとは、
わかっていましたが、「精神的負担」とは…。


私の精神的負担も何かどこかで何とかしてほしい、と
心の底の底の方で、叫んでみました~。


しっかりの呪縛

年のごく近い妹がいるので、
もの心ついたときから「しっかりしなさい」と言われていました。
自分の性格を一言でいえば「しっかりしている」だったと思います。
「しっかりしている」ことを母も学校の先生も褒めてくれました。


私の中で「しっかり」という価値観はかなり高めでした。
「しっかりしていないと」といつも考えていました。
ある時「しっかりしていないことはダメなことなの?」と、
カウンセラーに言われて、しっかりに縛られている自分に気付きました。
「しっかりという価値観が強すぎて、しっかりしていない他人、
さらにはしっかりできない時の自分を否定する傾向が強い」とも言われました。


まさにその通りだったので、目からうろこが落ちる思いでした。
その頃から「しっかり」の優先度合いを意識して下げてきました。


しかし。
母の介護をするようになって、
「しっかり」という価値観にまだまだ縛られていることを感じます。
「しっかり介護できていない」ことを気に病み、
「しっかりやっている」と周りの人に思われたいし、
「母がしっかりできない」ことに苛立ち…。


自覚して克服してきたと思ってましたが、
まだまだ根深く私を縛り付ける言葉です。



あせりをおさえられない

仕事中にヘルパーさんからメールが入っています。
「デイサービスの送り出しの担当から、
お金の場所がまたわからなくなっていると連絡があり私も駆けつけましたが、
お金の場所がわかりません」


「うーん」
何もできないし、何と言っていいかもわからなくて、
気持ちが行き詰ってしまいます。
意味もなく、焦る気持ちもわいてきて、
「この先、どうすれば~」と不安がむくむくと大きくなります。
自分の気持ちをまず落ち着けないと、と思いつつ、
「不意打ち」に弱い私です。